友人と仕事母業のはざまでの葛藤を話していたら
毎度のことながら、日々の辛さ、不安、憤りなどを友人と話していたのです。
子どももどうしても母を求めることが多いし、母が対応しなければならないことって、結局多いのが現実な気がします。外国は違うのでしょうか?
その日も、結局仕事も子供のこと、家のこと全て全力でやり続けるって無理。しかも子どもの人数にもよるし、子どもが病気だったり障害があったりしたらなおのこと。だから結局仕事も働き方も変えざるをえなかったよね。母は辛いよねと話していたのです。
でも、ふと思ったのです。
皆現在進行形で生きているわけで、家族皆生きてればそりゃいろいろ起きる。たとえ自分が何も起きなくても、子ども、配偶者、親、義理親など皆病気になったり不登校になったりそりゃ様々なことが起きます。そんなのあたりまえと言えば、当たり前。
だから、そのつどその都度状況に合わせて家族で話して柔軟に状況に合わせて働き方や職場を変えたり、時には引っ越したり、転校したり?その都度選択していくことが、ベストだよね?というかそうするしかないというか。理想はその柔軟な働き方生き方を母だけじゃなくて、父も一緒に変えてほしいですが。
そう考えるとさ、私たちって、妊娠出産により職場や働き方を変えたり、進学して勉強したり、引っ越したり、夫も転職したりとか。。。。いろいろその都度選択できたってことは、
もしかして、私たちって既に最高に幸せなのかもしれない
という言葉を友人がいったんですよ。
角田光代の小説読んでるのかと錯覚するほど心にささってしまった。
結局おかしな刷り込み?により自分を苦しめているだけ?
でも現実問題、もちろん母は、さまざまな呪縛があります。保育園に入れたら「かわいそう」とか「仕事を減らした方がいい」とか、妊娠したら義理親から「(夫)の給料でやっていけるはず」とも言われましたし。なぜか保育園には連絡先の順番を出していても、無視して「母に1番にかけるのが慣習です」とかも言われたし。
世間からのものすごい圧力にさらされて日々疲弊したし、夫もいまいち通じ合えない部分がそれなりにあるし、、、、という辛さもありました。
保育園で出会った母が中国人のお子さんは、なんと子どもは家族皆で育てるという意識があり、3か月おきに中国の実家に子どもを連れて行ってました。なので子どもが小さい時は、3か月も母と離れると、お母さんを完全に忘れているのです。「迎えに行くと私のこと忘れてすごい泣くよー」と笑いながらそのお母さんは、話していました。が、私には、小さい時に我が子と定期的に3か月も離れるのは考えられなかった。でも、それが当たり前の習慣の国もあるのですね。
選択できる自由を持ち、自分の気持ちに正直にいきるべし
ま、でも今までの自分のがんばりを素直に讃えたい。その時その時状況に合わせて時短とったり、息子のための介護休暇(息子の世話でもとれた)取ったり、転職したりして前に進んできたわけだし。その分様々なところでの経験を積んだわけだし。
ま、いろいろ分かり合えずモヤモヤするけど、一時的に私が仕事を辞めても家族が生活できるのは、まあ夫のおかげでもあるのでその都度話しながら前に進みたい。
周りの雑音は完全に無視はできないけど、惑わされすぎないようにしたい。
そして中年になったからか、おばさんあるあるなのか、世の母を支える何かがしたいと強く思うようになった。発達凸凹息子が一番大変だった時に、いろんなママ友から助けてもらいました。
今もきっと、とても困っている親子もたくさんいるだろうなと思います。
本当に私も年取ったんだなと思う。やけに自然を見たくなるし、他人の子でも皆幸せになってほしいと思うし、涙もろくなるし、
これが中年なのかもしれない。


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