先日、息子と原爆や核爆弾の恐ろしさについて話をする機会がありました。
学校の授業で『ちいちゃんのかげおくり』などを読み、戦争が怖いこと、悪いことであるという知識は彼の中にもしっかりあります。しかし、息子は正直な思いとして、こう口にしました。
「戦争が悪いことはわかるけど、そこまで自分事と思えないというか、現実的に考えられないところがある。体験もしていないし、そこまで現実的な怖さもわからない」
戦後長らく平和な時代が続いている日本において、これはある意味で非常に誠実で、客観的な自己分析だと感じました。
しかし、それに続く息子の言葉に私はひどく驚かされることになります。
息子が一番「核」を怖いと感じたのはゴジラだった
彼が今までで一番「核爆弾が怖い」と実感したのは、映画『ゴジラ-1.0』を見た時だと言うのです。息子は、具体的な描写を挙げてその恐ろしさを説明してくれました。
- ゴジラが口から放射熱線を出すと、周囲4キロメートルの物や人が吹き飛び、草も何もなくなってしばらく「無」になること。
- 放射熱線を吐く時は、口の形がぱっかりと割れて吐き方が違うこと。
- とにかく普通の攻撃とは違う、ものすごい破壊力であること。
- ゴジラは核を動力として動いている(と理解している)こと。
さらに驚いたことに、劇中の描写を通して「黒い雨」の存在とその意味まで読み取っていました。
情報処理のルートの違いと「ディスクレパンシー50」
私自身は、井伏鱒二の小説『黒い雨』などの文学を読み、人間の悲劇や痛切な情景といった「活字と言語」から原爆の恐ろしさを感じ取った世代です。
しかし、息子はゴジラというエンターテインメントの映像から、私と同じ本質にたどり着いています。
幼い頃から恐竜や深海生物などにものすごい勢いでのめり込む子でした。彼の持つ「ディスクレパンシー50」という特性が関係しているのかもしれません。事象に対する過集中や、メカニズムを徹底的に分析する彼の認知特性が、ゴジラの口の開き方の違いや、具体的な破壊範囲といった物理的・科学的な脅威への着眼に繋がり、結果として核の恐ろしさを腹の底で理解させたのだと思います。
70年前の制作者のメッセージを正確に受け取った息子
後から調べてみると、息子のこの直感は、ゴジラという作品の根源的なテーマと完全に一致していました。
1954年に公開された初代『ゴジラ』は、第五福竜丸のビキニ環礁での水爆実験被曝を背景に、「核兵器の恐怖が形を持って歩き出したもの(原水爆のメタファー)」として生み出されています。
- ゴジラの皮膚: 被爆者のケロイドを模している
- 口から吐くもの: 単なる炎ではなく、放射能(放射熱線)そのもの
当時の戦争体験者である制作者たちが、都市が一瞬にして焼け野原になり、黒い雨が降り、すべてが無に帰すという現実の記憶と絶望感を、怪獣という形に託しました。
息子は、70年前に込められたその強烈なメッセージを、最新の映像技術を通して見事に疑似体験し、正確に受け取ったことになります。
文学の情景から入るか、怪獣映画のメカニズム分析から入るか。 世代や特性によって事象へのアプローチ方法は違っても、本質を見抜くことはできるのだと、息子の思いがけない視点から教えられました。


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