先日、2eの息子が学校から図工の作品を持ち帰ってきました。
パッと見たところ、いろんな色の折り紙がビリビリに破かれて、台紙にただ無造作に貼られているだけ。手先の不器用さが全面に出ていて、正直なところ「ただ破った紙を貼っただけだな……」と思ってしまうような仕上がりでした。
しかし、そこに添えられていた作品のタイトルを見た瞬間、思わず笑ってしまいました。
タイトルは、「個性」。
え?お、面白すぎる。。。。。。このたった二文字のおかげで、不器用な図工作品が、急に哲学的なメッセージ性を持つ「現代アート」に昇華されている。おそるべし。
本人に「なんでこのタイトルにしたの?」と聞いてみると、こんな答えが返ってきました。 「いろんな色の形を見ているうちに、一人一人の個性に見えてきたんだよね」
彼の頭の中で起きていた思考のプロセスを論理的に紐解いてみると、その見方があまりにも秀逸で驚かされます。
1. 物理的な結果の受容 思い通りに綺麗な形を作れないという手先の不器用さを、彼は失敗として弾くことなく、ビリビリに破れた不揃いな形をそのまま画面に配置して受け入れています。なんて前向きなんでしょう。すばらしい。
2. 視点の切り替え(具体から抽象へ) 普通の小学生なら「何かの形に見立てる」ことを考えますが、彼は違いました。バラバラに散らばった色や形を眺めているうちに、「赤い車」のような具体的なモノではなく、「それぞれが違って、不揃いである」という状態そのものに着目しました。
3. 本質を突く言語化 そして、「みんな形が違うこと」=「個性」であると結びつけました。視覚的な未熟さを、この秀逸な抽象概念のタイトルひとつで論理的に正当化し、見事にひとつの作品として成立させてしまったのです。
大人が無意識に期待する「子どもらしい図工作品」の枠をあっさりと飛び越え、目の前にある状態を自分の言葉で定義し直した息子。手先の不器用さと、それを俯瞰する大人びた視点のギャップが毎回面白すぎます。彼らの目には、ただの破れた紙切れすらも全く違う解像度で映っているのだなと、ハッとさせられた出来事でした。
ま、本人はそんなこと考えていませんけど、母もこのくらいこねくりまわして作品を評価して遊んでいかないと、やっていけません。現実厳しいこと多いので。

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