先日、発達に凸凹のある娘さんを育てているお母さんとお話しする機会がありました。 その時の会話で、私がこれまであまり意識していなかった「支援を受け入れる際の男女差(あるいは特性の出方の違い)」について、非常に深く考えさせられる出来事がありました。
息子が「みんなと違うこと」を受け入れられた理由
現在、小6の息子はWISCの検査結果から認知の凸凹(言語理解が高く、処理速度がゆっくり、差が50)があることがわかり、一時期は精神科にお世話になったり、現在も通級指導教室に通ったりしています。
息子の場合、「自分が周りの子と違う支援を受けていること」に対して、良い意味で何とも思っていません。 以前、漢字テストで特性上の配慮として「時間を長めにもらう」という許可を先生から得たことがありました。その時、クラスの周りの子から「ズルい!」と言われたそうです。
普通なら傷ついたり、配慮を隠したがったりする場面ですが、息子はこう言い返しました。 「僕は書く時に時間がかかるから仕方ない。それに、先生に許可をもらっているからズルじゃない」と。
この堂々とした態度の理由は、彼が自分の特性を論理的に割り切っているから…というよりは、おそらく「通級の先生や病院の先生は、自分の話をちゃんと聞いてくれる『味方』だ」という絶対的な安心感があるからだと思います。 彼にとって支援の場は「自分を特別扱いする嫌な場所」ではなく、「自分の味方になってくれる人たちがいる場所」だからこそ、周りから何を言われても揺るがずに「ありがたい」と受け入れられているのだと思います。 (今は処理速度も上がり、時間内にテストも終わるようになっていますが)
女の子にとって「みんなと違うこと」は絶対悪?
しかし、お友達の娘さんの場合は、全く状況が違いました。 彼女にとっては、「周りと違うこと」が絶対悪なのだそうです。
そのため、「自分だけが特別扱いされる」通級や病院も本人が強く拒否してしまい、支援をうまく使うことができなかったと言います。 WISCの検査結果をもとに、「通常クラスのままでは本人がついていくのが大変で、劣等感を感じてしまうから避けた方が良い」と周囲からアドバイスされたそうですが、彼女の心の中では「勉強についていけない劣等感」よりも、「みんなと同じ教室にいられないこと」の方がずっと耐え難いことだったのです。
高校進学にあたっては、様々な葛藤の末に特別支援学校を選んだそうですが、本人は今でも「やっぱり普通科に行きたかった」と強く口にしていると聞き、胸がギュッと締め付けられました。 (親御さんとしては、「普通級にいた時もいろいろと対人トラブルがあったから、過去が良かったわけではない。だから今が特別悪いわけでもない」と冷静に受け止めていらっしゃいましたが、娘さんの葛藤を思うと本当に複雑な心境だと思います。)
支援の場から「見えなくなる」女の子たち
このお話を聞いて、以前参加した近隣学校の「合同通級保護者会」の光景を思い出しました。 その時、集まっていた保護者のお子さんは「ほぼ男子」だったのです。
もちろん、支援が必要な女の子が少ないわけではありません。 ただ、女の子の集団特有の「みんなと同じでなければならない」という強い同調圧力が、支援の場へ足を向けるハードルを極端に高くしてしまっているのではないか。その結果、無理をして周りに合わせ、支援の網からこぼれ落ちて可視化されにくくなっている女の子がたくさんいるのではないかと気づかされました。
我が家がすんなりと支援に繋がれたのは、息子がたまたま「ここは自分の味方だ」と安心できる人たちに出会え、周りの目を気にしない特性を持っていたことに助けられていた部分が大きいのだと痛感します。
男の子であれ女の子であれ、そしてどんな特性であれ、「自分を守るための場所」を、周りの目を気にすることなく「ここは私の味方なんだ」と安心して利用できる環境や空気が、もっと学校や社会に広がっていってほしいと心から願わずにはいられません。

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