見えすぎてしまう女性たち――「気づく力」がキャリアと収入を削る、不条理な数式の正体

​数年前、私は大怪我をしました。

息子の発達の凸凹(特性)がわかってから、仕事も育児もフルスロットル。気づけば限界を超えて走り続けていたんです。

​病院のベッドで動けずにいたとき、ふと考えました。

「なんで私、あんなに一人で抱え込んで自爆しちゃったんだろう?」って。

​そこでようやく気づいたんです。これは愛情の問題でも、夫のやる気の問題でもなくて、ただ単に**「見えている景色の解像度」が違いすぎるだけだったんだ!** ということに。

​「悪意」はない、ただ「見えていない」だけ

​家事や育児の負担が女性に偏るのって、本当によくある話ですよね。「なんで気づかないの!?」と怒りたくなるけれど、実はパートナー側に悪意はないことがほとんどです。

ただ、本当に「見えていない」だけなんです。

​私たちは、小さな頃から周りの空気を読んだり、誰かの先回りをして動くことを求められてきました。特に私は看護師という仕事柄、微細な変化を察知する訓練を積んできた「観察のプロ」でもあります。

​息子の特性がわかったとき、私には「このままだと二次障害が起きるかも」「今のうちに環境を整えないと!」というリスクが、4K映像ばりの高解像度で見えていました。

​でも、同じ景色を見ていても、同じ解像度のレンズを持っていない側には、そのリスクはまだ映っていません。サボっているのではなく、「見えていないから、動く必要をそもそも感じていない」。これが、あの終わらない平行線の正体だったんです。

​「気づく力」が、収入格差に直結する不条理

​この「見え方の違い」って、実は笑い事じゃなくて、めちゃくちゃシビアに**「お金の差」**に直結しています。

  1. リスクに気づく: 女性側が、家庭内の放置できない問題を先にキャッチする。
  2. 時間を投入する: 「見えてしまった」以上、放置できなくて自分の時間とエネルギーを先に家庭へ注ぎ込む。
  3. 仕事をセーブする: 穴を埋めるために、結果として自分の仕事を調整せざるを得なくなる。
  4. 収入が下がる: 能力はあるのに、仕事に割ける時間が減って、収入に差が開いていく。

​「気づいてしまう」という素晴らしい才能があるせいで、皮肉にも自分の市場価値や自由な時間が削られてしまう。これって、個人の努力でどうにかできるレベルを超えていませんか?

​正直、この**「ケアを担う側の賃金が下がりやすい構造」については、国にも本気でどうにかしてもらいたい**、と思っています。

「女性の社会進出」と言うのなら、こうした「見えない解像度の差」で生じる不利益を、個人の自己犠牲に丸投げするのではなく、社会のシステムとしてフォローしてほしい。有能な人たちがケアのためにキャリアを諦めなくて済むような、もっとフェアな仕組みが必要です。

​「話し合い」のコスパについても考えてみた

​もちろん国にも期待したいですが、目の前の生活を守るために、私は一旦「わかってもらうこと」に期待するのをやめてみました。

​「視力の違う人」に、私が見えている細かい文字の重要性を必死に説明し続けるのって、実はめちゃくちゃエネルギーを消耗します。その労力を、自分と子どものための「余白」を作るために使ったほうがいいんじゃないか、と思い始めたんです。

​相手を変えるために消耗するくらいなら、まずは自分が「何もしない時間」を死守する。

​おわりに

​もし今、「なんで私だけ……」と悲しくなっている人がいたら。

それはあなたが「できない」からではなく、**「見えすぎてしまうほど有能」**だからです。

​その才能を、少しだけ「自分を救うため」にも使ってあげませんか?

すべてを完璧に背負わなくていい。あえて立ち止まって、自分の中に「余白」を作ることを許してあげてほしいんです。

​あなたがあなたの人生を、これからも面白がって探し続けられるように。

「見えすぎる」私たちは、意識して「見ない(やらない)余白」を死守していきましょう!

コメント

タイトルとURLをコピーしました