同じように育てたはずなのに?「以心伝心」の娘と「斜め上」をいく息子

こども

親が普段やっていることを見ていれば、自然と身につくはずの「常識」や「前提」。しかし、同じように育てているはずの我が家の子どもたちを見ていると、その吸収力には驚くほどの差があります。

娘は小さい頃から、特に細かく説明しなくても「あ、これね」と状況を察知して動いてくれるタイプです。正直なところ、夫よりも小さな娘の方がツーカーで話が通じることすらあったほど、文脈を読む力に長けています。

一方で、日常の前提となる認識が見事にズレているのが息子です。親の行動を風景としてしか見ていないのか、時折驚くべき推論を展開してくれます。最近あった、困ったけれど笑ってしまうエピソードを2つ紹介します。

エピソード1:手紙の宛先はお隣さん? 息子に「この手紙、ポストに出してきて」と依頼した時のこと。 「え?これを山田さん(お隣さん)のポストに入れればいいんでしょ?」と、全く迷いのない様子で返されました。 お隣さんのポストに入れるのは回覧板です。なぜ「郵便物を送るための公共のポスト」と「隣人の家のポスト」が彼の中で直結してしまったのか、謎は深まるばかりです。

エピソード2:ゴミの一時置き場はどこへ ゴミの日までまだ時間があるため、我が家では一時的に駐車場のボックスにゴミを保管するシステムをとっています。ある日、息子に「一時的にゴミをそこのボックスに入れておいて」と頼みました。 「わかった!」と元気よくゴミを持って家を出た息子。しかし、なぜか我が家の駐車場を通り過ぎ、近所のマンションのゴミ置き場へと向かって歩いていくではありませんか。 「え?どこ持っていくの!?」と慌てて引き止めました。

一つ一つ確認するステップが必須 娘には自然に通じる「普通わかるよね?」という前提が、息子には全く通用しません。彼に何かを頼む時は、「郵便物を送る赤いポストね」「うちの駐車場にあるボックスだよ」と、一つ一つのプロセスをステップバイステップで論理的に確認しないと大惨事になります。

ちなみに夫もごみ捨てができるようになるまで、10年くらいかかった気がする。
たぶnごみ捨てとかに全く興味もないし、私が普段ごみの日までにどこにごみを置いているかとか興味ないのでしょう。

毎回ヒヤヒヤさせられますが、生きていく上で本当に困ると思うので、結構本気で注意してるけど、息子にどのくらい響いているかは不明です。

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